2010年8月31日火曜日

Be myself

自分は何者なのか?
その答えは、人それぞれでしょう。

先日、友人と子供について話をしていました。

友人には義理の息子がいます。彼は、インド人とドイツ人の間に生まれた子です。
ダークスキンで、黒いストレートの髪の毛、大きな綺麗な目をしていて、顔立ちは穏やかで、賢そうな子です。

彼はドイツ人学校に通っているそうで、周りの生徒の多くが、ブロンドに白い肌をしているそうです。

話によれば、ある日、クラスの子が「お前は、ズール族なの?」と彼に言ったそうです。
彼の顔立ちは、どう見てもそうは見えないのですが、その子は、彼がダークスキンで、周りの子と肌の色が異なるので馬鹿にしたようです。

自分の持って生まれたものを馬鹿にされるのは、とても傷つきます。
こんな時、親は子供に何と言ってあげるべきでしょうか。


以前、南アフリカのアパルトヘイト時代を描いた「Skin」という映画を観ました。
ホワイト、カラード、ブラック
人の肌の色によってランク分けをし、差別する様子、その制度に縛られ、肌の色によって優劣をつけるのを当たり前とする当時の人々の様子が描かれていました。

アパルトヘイトが終わって十数年の南アフリカ。
南アフリカは、未だに、肌の色をベースに良し悪しをつける人が多いな、と感じることがあります。
多くの人が南アフリカの平和的改善を願っている一方、差別意識を持った人たちが、自分たちの子供にそのような考え方を植え付けていたら、いつまでたっても問題の解決口が見つからないはずです。

また、イギリスではカラードという表現は侮蔑とされているのにもかかわらず、ここでは普通にこの言葉が使用されています。なんだか、問題意識の深さや観点に違いがあるな? と感じずにいられないのが正直なところです。


私の子供は、アフリカンブリティッシュの父と日本人の母を持ち、南アフリカ生まれ。これから、どこで生活をしても「なに人ですか?」とか「どこ出身ですか?」とか、将来 色々な質問をされる人間になるでしょう。
そして、その答えは一言で答えられるほどシンプルではありません。

人は、外見で判断したり、国籍や人種などによって人をカテゴリー付けしようとします。
また、そのカテゴリーに入ることによって、安心感を得る人も多いでしょう。

しかし、それは真のその人の姿でしょうか?

友人の子供の話を聞いて、これからの子供たちについて考えました。

十人十色という言葉がありますが、「自分の観念、自身の美しさ、自分らしさ」に誇りを持って、「私は私であれ」で生きていって欲しい。そう思いました。